8月11日、郵便受けにどっしりとしたものが投函されていた。それが表記の本であった。以前から出す出すと聞いてはいたが、新年会でも出版されていなくて、注文取りに回っていた。やっと上梓されたのだ。
冒頭のはじめにを読むと、8月11日というのは筆者が58歳の誕生日から2日後にアルプスのマッターホルンの頂上に立ったこだわりの日だったのである。つまりこの日を待っていて満を持して送付してきたのである。
ナカニシヤ出版。1500円+税。購入は直接HPから注文。
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内容は高卒で東海銀行に入行後、登山を開始したこと。銀行員としての人生を終えた後も一般企業で働いたことなどから自分史の趣が濃厚である。しかしこれだけなら出版する意義はない。
若い頃からアルプス登山に夢を持っていた。それを夢だけに終わらせずに実践していった。定年退職を機に、夢の実現に向けて加速していった。アルプス登山に関してはガイドを伴っての登頂なので特別に珍しい話はない。ガイド付なら無難に登頂できて当然である。
登山記も過去にあまたあるから価値はないと思われる。登山記に挿入される短歌も江戸時代の旅人の紀行の模倣に過ぎない。本文からはなれると韻文としての独立を保てないであろう。つまり感動がなく、写生にとどまり、違和感がある。歌人なら歌人として季節感のある短歌にするべきではないか。
異色なのは登山での意思疎通を滑らかにするためにアルプスに同化するかのようにドイツ語留学したことである。ここに筆者の本当に言いたい部分があるのではないか。ドイツ語を堪能なものにしてからが本書の真骨頂というべきだろう。単なる旅人として山頂をかすめるだけではない現地人との交遊録になっている。
日本の銀行員というものは天気の良い日に傘を貸して、雨が降ると取り上げる、という格言?にあるように大変ドライなものである。担保をとり、連帯保証人を立て、且つ歩積み両建て預金を積ませる銀行優位の時代もあった。
又、50歳までに支店長の昇格のコースから外れると資本関係のない企業へ片道切符をきられる過酷な世界でもあろう。高卒といえども成績は上から5番以内しか採用されないとも仄聞している。個人としては優秀な人が多い。筆者もその例外ではないだろう。
大銀行ゆえに経済的には恵まれたものの真に友情をはぐくんだり、信頼関係を結ぶことが無かったのではないか。日本では金融ビッグバンで金融システム崩壊の危機を招いた。公的資金を注入されて、銀行員は尊敬と信頼を失い、大衆の中の孤独なエリート層だったのである。
川口マーン恵美著『日本とドイツ 歴史の罪と罰』によれば、小学校を終えると、A校=エリート層の養成、B校=中堅層の担い手の養成、C校=伝統的には職人の養成と分かれる階級社会の教育システムを描く。敗者復活戦はない仕組みである。
欧州のような階級社会の中で、一生人に使われて過ごす階級に客人として入り込めば、筆者は日本から来たエリート層なので、一種尊敬のまなざしで迎えられたであろう。そこが居心地の良さにつながっている。ヒマラヤ山系においてはもっと顕著であろう。
さて、海外遠征の盛んな日本山岳会東海支部も草創期は抜きん出たアルピニストのガイドレス、シェルパレス登山が主流だった。次が組織登山の時代、高齢者のエベレスト登山、インドヒマラヤ登山が続いた。インドヒマラヤについては実りの時期になって、今年中にも登山記が集大成される。
そして、今回のように個人のアルプス登山記がまとめられることになった。かつて、東海支部で手腕を発揮していた原真は『快楽登山のすすめ』の中で、自分本位の登山を勧めた。
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