2015-08-12
来年の8月11日は「山の日」としていよいよ祝日になる。私などは若い頃から「ホリディ山の日」なのであまり実感はない。
こんなことを言い出したのは誰か。
それはどうも演歌の作曲家として知られる船村徹さんらしい。所属する日本山岳会のHPに船村さんの「山の日」への想いが綴られたエッセイがあるので転載する。
「「山の日」をつくろう 船村 徹 (オピニオン)
船村 徹
「海の日」という祝日がある。1996年に制定された国民の祝日のひとつである。
現在7月の第3月曜日となっていて、世界唯一、わが国にだけ存在する祝日である。
海をテーマにした作品を数多く手がけてきた私も心から納得して、設立には微力ながら協力したおぼえがある。ぐるりと海にかこまれた海国日本なのだから、われわれが海の恩恵にあずかって生きているのもあたりまえだ。
太古から「山海一体」
しかし、まてよ、考えれば考えるほど、なんかへんな気がしてならないのである。「海があんのに山がねえー」べつに海なし県の栃木(塩谷町)で生まれ育った男の偏見などではなく、自然界の大摂理として、太古から信仰的にも実生活的にも人類にとっては「山海一体」なのであった。
山に降った雨や雪は、森にしみ出して林を流れ下り村や里をうるおして大河となって、やがて広大な海洋へとたどり着くのだ。とどのつまりが山と海とは、親友でもあり、男と女、夫婦以上に深い仲でもあるのだ。山が栄えれば海がよろこび魚は肥える。深山幽谷をほとばしる水源は神秘の栄養素にみちて、プランクトンやミネラルなどを運んで、渓谷や湖沼の淡水魚や里の農産物にも幸せをさずけながら大海に入ってゆく。
やっぱり「山」はすごいのだ。「山」が痛んじゃいけない。近頃の燃料の高騰が海上労働にたずさわる諸氏にとっては、たしかに楽ではないが、海に魚介類がいなくなったら、全国的にいちころでヘコタレっちまうだろう。
国民が心をひとつに
幼かったころのふる里の川には、天然ものの渓魚はピチピチとむれ跳ねていて、学校帰りに川へ入ってヤマメでもイワナでもカヂカでも、手づかみでバケツ一杯とれたもんだった。秋になると裏の山々には渡り鳥たちが飛んでくる。あの那須岳の奥のあたりに、おれの初恋のひとが住んでいるんだ ―などと空想して、渡り鳥にたのんでみよう― 葉に書いた愛の手紙を…そんな少年の恋物語を友人たちと語りながら歩いた山の小径も、なぜか美しかった。
山ぐにで育った私は、中禅寺湖しか知らなかったから、上京して音楽大学に入ると横浜港へ海を見に出かけた。あのあたりはアメリカ占領軍の管理がやかましくて、「犬と日本人はいるべからず」なんて書いたカンバンがフェンスにぶら下がっていたが、かまうもんかともぐり込んで波止場の水をなめてみた。やっぱり塩っぱかったのを今でもおぼえている。
最近、海を豊かに守るためには、「山」を大切にしなければならないと、植林活動にいそしむ漁協も多いと聞く。いい事である。
今こそ日本国民が心をひとつにまとめて、「山の日」をつくり、国民の祝日とさだめ、おおいに、「山海の友情」を厚くしようではないかと思っている。
(日本作曲家協会最高顧問、日本山岳会々員)
※2008年9月7日 下野新聞より転載」
以上
作詞家の星野哲郎と組んで「なみだ船」以来、数々のヒット曲を飛ばしたから海のイメージが強い作曲家である。星野哲郎は愛弟子の演歌歌手・島津亜矢に自分の果たせない夢を歌詞化した「海で一生を終わりたかった」(作曲・船村徹)を歌わせているほどの海オタクだった。
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