2015-08-13
「面白い山登りをやるための第1条件は、「自分本位」になることだろう。「他人本位」の山登りではちっとも面白くないということは、まだ社会通念になっていない。日本人が、山に限らず一般に物事を楽しむ能力に欠けているのは、他人本位だからである。封建時代の遺風が残っているお国柄といってよい。この遺風を打ち破らなければ、面白い登山はできない。
自分本位の人間というのは、自分の考えをもっている−少なくとも、もとうとしている−人間のことである。こういう人間は他人の考えを尊重する能力を持っているから、たがいに協力しあえる。一方、他人本位の人間というのは、自分の考えをもっていない−またはもとうとしない−人間のことである。この種の前時代に属する人間たちは、自分が考えをもたないのと同じに、他人も考えをもつべきでないと思っている、こういう人間たちには、集団に対する従属や支配(おなじものである)の感情はあるが、個人としての自己表現の精神にとぼしい。彼らは、他人の犠牲になるかたわら、自分でも他人を犠牲にして生きていこうとする。」
過激な考え方である。しかし、夢に見たアルプス登山を実現するためには自分本位にならざるを得ない。シュリーマンの『古代への情熱』、日本を測量して回った伊能忠敬とか、若い頃から蓄財し、高年になってから夢の実現に向かって生きた。筆者の周到な生き方にはそんな人たちとの共通項もあるのである。
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