晩秋の奥美濃・半中を歩く
2014-11-23


どこか紅葉の山を歩きたい、と念願していた。検索で見つけたのは半中という三角点があるだけの山だった。旧根尾村の能郷白山の登山口のある根尾能郷の山である。 
 能郷白山の前山は南へ二つに分かれる。一方は藤谷山を起こしながら根尾能郷に下って行く。もう一方は能郷白山登山道のある郡界尾根となって馬坂峠まで一旦下って。再び雷倉をもたげ、タンポ、西台山まで来て、尾根を様々に派生させて美濃平野に下る。雷倉山脈という。長大な雷倉山脈であるが登山の対象としては雷倉、西台山かタンポくらいのもので多くは藪に埋もれた山名すら与えられないやぶ山である。今挙げた山ですら登山者の影を見るのも稀であろう。
 半中も地元の符号のようなもので半中谷の源流の山だからと言えるが、実は地形図に名前のある兎谷が突き上げているから兎谷山とした方が通りやすいだろう。半中谷は848mの独立標高点から下る尾根に突き上げる小さな谷で地形図にも名前はない。
 そんな詮索はこのくらいにしておく。半中というより奥にある青波は以前は馬坂峠から歩いて見たいと思っていた。山上に池があるという理由からだ。それを置いて上原(あげはら)から歩いたのは検索で記録がヒットしたからだった。最初の人は晩秋、次の人は晩春でそれぞれに魅力ある写真を掲載して意欲をそそられる。
 春山が良いか、秋山にするか悩まされる。万葉集の有名な和歌を浮かべる。

 冬こもり 春さり来れば 鳴かざりし 
 鳥も来鳴きぬ 咲かざりし 
 花も咲けれど 山を茂(し)み 
 入りても取らず 草深み 取りても見ず 
 秋山の 木の葉を見ては 
 黄葉つをば 取りてぞ偲ふ 
 青きをば 置きてぞ嘆く そこし怜し 
 秋山我は    巻1−16 額田王

 秋山に軍配を上げた額田王の和歌に共鳴して秋山を選んだ。

 11/23の朝早く名古屋を出た。登山道の無い山で日没につかまると厄介なことになるからだ。上原の奥の林道に車を突っ込んで、半中橋を渡ってすぐに尾根に取り付く。新しく買った熊避けの鈴と笛を忘れずに持った。今年は山村各地で熊の被害が多いので用意した。薄暗い杉林に踏み跡がありそこを辿るとほどなく明るい雑木林の尾根になった。踏み跡もしっかり明瞭にあって登山道と言える。万葉歌のように黄葉が朝日に照らされて美しい。照り紅葉という。倒木も殆ど無いし、下草も無いので快調に歩けた。等高線の緩い辺りにはブナの大木も残っている。それこそ無造作にあって疎林を形成している。他の山域では見られない風景である。
 848mから下る尾根と枝尾根との合流地までは疎林だったが、そこからはブッシュがあった。かすかにけもの道があるのでそれを追う。傾斜も急になった。岩場が出てきた。ちょっとしたクライミング気分で攀じ登る。そこを突破しても藪こぎは続いたが、傾斜は緩んだ。848mらしい平地に着いた。ここは尾根の分岐点なので、正確な下山のために赤布を付けてもらった。
 848mからは尾根が明るくなった。白谷側の崩壊を眺めながら痩せた尾根を行く。一段と高度をあげると再び傾斜が緩む。最後は高みに向かって歩くとただ三角点があるだけの山頂だった。登山口から3時間の程よい消耗度である。
 周囲は落葉して樹林越しに山々が見える。能郷白山は既に雪を付けて奥美濃の盟主らしい。遠くには若丸山、冠山、屏風山、近くには小津三山も見える。比高80mの青波もすぐ近くに見えるが、今日はここまでとして下山。848mから下る際の岩場は右の急斜面の木につかまる様に巻いて下った。途中で大きな七葉樹(しちようじゅ、栃)の大木を見た。大木というより老木というべきか。赤い布が下りをスムーズにしてくれる。再び広い斜面に戻ると後は尾根通しに下るだけだった。但し、朝と違って夕方でもないのに太陽は稜線に隠れがちだったので日陰になっている。黄葉の写真撮影は朝に限る。日没に追われるように休憩も取らず一心に下った。再び杉林に戻って林道を戻る。 

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[奥美濃の山]

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