加藤則芳『ロングトレイルという冒険』を読む
2013-07-14


JACの会報「山」で紹介された節田重節氏の”ロングトレイル・ウォークのススメ”という論考が気になっていた。その中に紹介された日本におけるロングトレイル文化の提唱者・加藤則芳氏をググると今年4月に難病で他界していたことが分かった。1949年生まれだから同世代である。生前に氏が薀蓄を傾けて残したのが表記の本だった。

 読後感として、個人主義、ピューリタニズムの横溢する内容にこれじゃ日本には根付かないぞ、と思った。
 「歩く」から「歩く旅」へという。それはいい。ソローまで紹介されては哲学的過ぎる。日本的な旅とは、聖人君子の旅ではなく、大衆の旅、例えば「えじゃないか」というような娯楽と観光と社会運動の入り混じった旅のイメージがある。

 日本に外来思想の仏教が根付いたのは、何だったのか。神仏習合という言葉がある。仏は神の生まれ変わりと言う理解の仕方がある。仏教でも小乗ではなく、大乗仏教が根付いたのは、大衆文化の基盤があったからだろう。キリスト教は普及しなかった。一神教に馴染めなかったからだろう。同じことはアラーの神にも言える。

 結局、日本には日本の文化がある。加藤氏は日本の山にも精通されていたが、文化的歴史的な素養には疎かったと思われる。日本文化に染まる前にアメリカのトレイル文化にどっぷり浸かってしまい、キリスト教と同じく、偽善的な教えてやる的な視点になってしまったのではないか。

 件の「山」の節田氏の文を引くと、
「そもそも日本は、お伊勢参りや四国や八十八箇所お遍路など、ロングトレイルの先進国。また近代の草創期には、尖鋭的なアルピニズムの対極として山や峠を越えて山里を結ぶ、静観的な「山旅」という言葉があった。
 雪よ岩よ、はもう無理、ピークハントも飽きた、でもやはり山や自然の中に浸っていたいという方々は、ぜひともこのロングトレイル・ウォークに注目していただきたいもの」
以上。

 節田氏は日本ロングトレイル協議会(2011年7月発足)の会長に祭り上げられた人物だ。2013年6月からは日本山岳会の副会長の任にある。引用文には加藤氏ほどの頑なさはない。ヤマケイの編集長として山岳出版というニッチな中にどっぷり浸かって半生を過ごされた余裕がある。古典的な素養もお持ちだろうと思う。

 日本にもすでに北から南まで推進団体が設立されて普及活動に入っている。名古屋からは長野県の八ヶ岳山麓スーパートレイル、美ヶ原・霧が峰中央分水嶺トレイルが近い。関西では中央分水嶺 高島トレイルなどがある。ヤブコギネットには余呉トレイルの踏破体験記が投稿されていた。トレイルという名称で特集すると雑誌もよく売れたという。新しい言葉だけが独り歩きしているように思う。
 
 現在のところ、名古屋近郊にはこれと言ったトレイルはない。しかし、愛知県から長野県にかけては”塩の道”(飯田街道)があるではないか。中山道も山道のロングトレイルであった。特に木曽谷の部分は藤村の小説のイントロにもなっている。木曽路はすべて山の中のロングトレイルであった。
 東海道の大井川を雲助に負ぶされるのを嫌って、皇女・和宮とお女中は木曽街道を通って江戸に向かったという。木曽を愛した写真家で文筆家の沢田正春は写真集に「緋の道」と名付けた。緋とは目の覚めるような赤い色の事で、緑の森の中を赤い着物の集団が歩いてゆくのは壮観だっただろう。
 飯田市と南木曽町を結ぶ大平街道は木曽峠を越えるロングトレイルであった。古い時代、中央アルプスを南下して大平に下った山旅人はバスがないと南木曽駅まで歩いた。廃村・大平宿は無住であるが古民家で宿泊体験ができる。
 北の権兵衛街道は近年、真下をトンネルが穿ち、峠道はかえって昔のよすがを留めることになろう。姥神峠は御岳信仰と結びつき、街道を旅する人に感動を与えたであろう。

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