加藤則芳『ロングトレイルという冒険』を読む
2013-07-14


更に古い歴史の”木曽西古道”と”木曽東古道”が木曽川を挟んで利用された時代があった。風越山の麓の東野という小村は初夏、コデマリの花が迎えてくれる風情がある。山の村人は季節に敏感である。背後に聳える鋭鋒の蕎麦粒岳を見たら木曽古道のファンになるだろう。もっと古くには美濃から伊那へ神坂峠を越えた東山道があった。これは1300年の歴史がある。赤石岳から聖岳にかけて深南部の山々の姿は神々しい。
 昔も今も、峠から或いは街道の一角から、御岳の霊峰を眺めて、旅の苦しさを癒されたであろう。
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 このように日米の山岳文化を比較すると、到底アメリカとは比較にならない。日本は狭い国土にひしめき合っている。アメリカのような原生林は数少なく、多くは人工林になった。アメリカでもソローやJ・ミューアが出て自然保護を説いて今日があるのだが。それでなくても車道は奥深く入って自然を損なう。だが、前述したように古い文化を掘り起こしながら古道を歩めば趣も違ったものになろうか。

 かつて、芭蕉も木曽路を旅した。蕪村も子規も、自由律の俳人・種田山頭火も木曽の清内路峠を越えた。山なくして彼らの詩魂も疼くことはなかったであろう。

 桟やいのちをからむつたかずら   芭蕉

 送られつおくりつはては木曾の秋   芭蕉

 きじほろろ巡礼一人木曾の旅    蕪村

 白雲や青葉若葉の三十里   子規

 峡中に向かう馬頭や初時雨   龍之介

 山蒼くくれて夜霧に灯をともす木曽福島は谷底の街   水穂

 いかだ士に何をか問わむ青あらし   横井也有(尾張藩の家老)

 徳川の三百年の木曽の秋    虚子

 木曽で詠んだ作品ではないが

 分け入つても分け入つても青い山   山頭火
  
 また見ることもない山が遠ざかる     同

 うしろすがたのしぐれてゆくか       同

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