思い出
2025-05-02


9年前というと66歳の5/2を思い出させてくれた。あの当時は膝痛で悩んでいてもう登山は出来なくなると悲観的だった。事務所に近い久屋大通駅は名城線と桜通線が交差するためか、地下が深い。そこへ降りて行くのに手すりにつかまっていたほどだ。そこで思いついたのはサイクリングで大腿筋を鍛えることだった。
 日進市の白山神宮の膝痛の神様に祈念。3ヶ月ほどで猿投山に標準タイムで登れるようになり、翌年4月には白馬乗鞍岳にスキー登山で復活を確信した。自信を得たのは良いが今度はコロナ禍で運動不足からか、体重増に無自覚でいたら小便の色に異常があったり、2022年晩夏には虚血性大腸炎と診断されて再び老いを自覚した。
 2023年まで断続的に続き、2024年5月に手にした『糖質疲労』の中に「まだ引き返せるかも知れない」の著者の言葉を信じて、2024年6月から糖質ダイエットを開始。78〜9kgあった体重が70.4kgまで減量。60%は水分というから水太りだったのだろうか。或いは2021年頃から手掛けていた任意団体の法人化事業への参画、これは昨年5月に完了。2022〜2023年の山岳古道事業の成果をHPへの入力作業がまだある。2021年からの兄弟姉妹の複雑な相続の業務も2023年中には終えたが、疲労感が強かった。それらのストレスも相当あった。
 しかしストレスは覚悟の上で始めた仕事である。いつかは追い風になれ、と念願している。所属する山岳会はクラブサーバントを謳う。召使、使用人、ここでは無償奉仕である。おカネは出て行くばかりで好きでないと徒労感が残る。
 今は小便の色は正常化したし、登山の労力も軽くなった。すると気力も復活してきた。そんな折に友人から相続手続き支援の依頼が舞い込んだ。この数年間は徒労ではなかったと思った。
 登山家で美容外科医だった原真のヒマラヤ減量法の骨子は25歳の時の体重に戻せ、ということだった。骨格ができる年齢だろう。58kgだったから5〜10kg加算して68kgが目標値だ。60歳の開業当時のスーツを試しに来たらぴったりだった。
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