三遠研の総会に出席
2025-04-19


13時からの総会に出席するために名古屋市の自宅を出たのは8時半過ぎだった。天気が良ければ里山の頂上を踏んで行くつもりだった。
 土曜日のR153は豊田市が近づくと交通量が増えて余り走れない。自動車の街は休日返上で忙しそうだ。松平橋まで行くとR301になり俄然スピードがアップする。根引峠の急坂をやり過ごすと高原の道路になり走りやすい。R473との交差点ではほとんどが左折して前方を走る車はなくなった。しばらくカーブの多い山坂を走ると作手高原に着く。
 90度右折して平坦な道を走ると道の駅に着くので休憩と買い物をする。3/8に見たミネアサヒの値段が3800円だったが今日は5000円に値上がりしていた。32%も上がる要因はない。便乗商法である。油揚げと鶏卵2袋を購入した。
 道の駅の手前を左折すると彦坊山へ行ける。すでに10時を回ってしまったのでハイキングは止め。R301は下り坂になり、本宮山スカイラインの入り口付近からは転げ落ちるように急カーブの連続する道になる。R151に着いたら左折。13時多少時間に間があるので喫茶と昼食を済ました後会場へ走る。
 13時から受付、13時30分から開会。白井会長はあいさつの中で当会は平成7(1995)年の創立で30周年の年回りを述べられた。他の歴史イベントなどの紹介もされた。
 その後議事進行。しかし財政難から機関誌の発行が85号と86号に終わり87号は発刊できなかった旨報告があった。残念なことは2年に1回発行する季刊『研究輯録』が先送りになったこと。
 高齢化の波はこんな小さな会にも押し寄せて来る。会員数の減少とそれに伴う会費の減少などで手詰まり感が出て来た。しかし、これは三遠研のみならず山岳会や俳句界でもある。所属の山岳会でも機関誌をデジタル化して郵送費を減らせという輩もいる。ほとんど無関心な会員もいる。俳句会でも某老舗の俳句雑誌が会員減少で休会、解散に追い込まれている。短歌雑誌はもっと急激に減らしている。
 特に郵送費の値上がりは大きく、PDFなどの大手に交渉して印刷費、通信費を半減することに成功した。登る事のみならず読んで楽しむ登山者が減る一方なのだ。それはSNS(ヤマップやヤマレコなど)の普及に与ること大である。
 さて、14時30分からは記念講演。演題は「最近の考古学の成果「銅鐸から吉田城の発掘まで」講師は豊橋市文化財センター所長の岩原 剛氏。立命館大文学部史学科卒業。美術博物館に就職。
・・・銅鐸というと藤森栄一の名前を思い出す。『古道』『かもしかみち』などの蔵書はある。目下は古道に傾注している。先月投稿した治部坂峠の道形は発掘はしないが考古学的な発見に近い。銅鐸の本までは買わなかった。発掘にはカネがかかるし技術も要る。
 愛知県埋蔵文化センターと同様に豊橋市文化財センターも公務員である。誰かが持統天皇の関係の質疑をされたが公務員ゆえに回答は回避されたのも頷ける。
 私も以前に愛知県埋蔵文化センターの職員に底の穴が空いた素焼きの壷に葉っぱを敷いて胞衣を収納して地下に埋める出産習俗の質問をした。恵那山の山名はアマテラスの胞衣を山頂に埋めた伝説に基づく。これと縄文遺跡で発掘される素焼きの壷と埋め甕との関連の質疑であるが、職員はこともなげに回答を反らした。
 考古学の発掘工事の経費は公費でまかなわれている。
 そもそも三河地方で銅鐸が出土するなんて初耳である。知らなかったし関心も無かった。先月の貝塚の話と同様に考古学的な傾向が強まっている。
 設楽ダム工事が行われている設楽町では愛知県埋蔵文化センターによる縄文遺跡の発掘調査が集中的に行われてその成果を見学に行ったこともある。
 三河の沖積平野では貝塚、弥生遺跡の発掘になるようだ。環濠集落という語彙は清須市の大規模な弥生遺跡である朝日遺跡でも聞いた。行ってみたこともある。ここで東海学という本にも出会った。
 大和政権は西から東へと勢力を拡大してきたのだろう。
[三遠地方民俗と歴史研究会]

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