2025-01-19
1月19日(日)の午後は山岳会の新年会でした。ゲストには外部から招いてスピーチをお願いしています。今年は登山家の松田宏也氏です。松田氏は1955年生まれなので70歳です。出席者には高齢者も多く、私と同様に遭難の報道を目にしてきた同時代に生きた人が多い。今その本人が目の前にいる。マイクを持つ手の指はなく握れない。リアルに凍傷のすさまじさを語る。
スピーチは画像と動画を交えて解説された。想像以上の奇跡的な生還だったと言える。それだけじゃない、両手の指、両足の膝下を失っても尚も登山を続けて来た不屈の精神に出席者は魅了されたのではないか。
近刊は『ヤマケイ文庫 足よ手よ、僕はまた登る『ミニヤコンカ奇跡の生還』からの再起 (2022/6/16)』がある。
この本に先駆するのは『ミニヤコンカ奇跡の生還 (2010年ヤマケイ文庫) 』です。キャッチコピーには「神よ、晴れてくれ! そんな願いもむなしく、山頂を目前に悲劇の幕は切って落とされた。
1982年5月、中国の高峰・ミニヤコンカ(7556m)登山中に悪天候に阻まれて遭難した筆者が、19日間におよぶ苦闘の末に奇跡の生還を果たすまでを描いた感動の手記。
極度の飢え、思うように動かなせない凍傷の手足、そして仲間の死……。
ズタズタに傷ついた肉体を引きずりながら孤独の下山を続け、絶望の峰から生きて帰った松田宏也の、究極のサバイバル・ドキュメント。」
ミニヤコンカ(7556m)は中国・四川省の山で、遭難を知ったトップは省を挙げて救助と治療に尽くせ、と号令したそうな。日本円にして1200万円の治療代がかかったが無償だったという。返し切れない中国への恩に日中がもっと仲良くなれないか、と憂うのもむべなるかなです。
最初に発見してくれた現地人4名のうち1名が文字が読めて、遭難して行方不明の日本人と認識してもらえた。発見された界隈は松田宏也の名称を冠した歩道になっているとか。
中国は政治の先進国です。中国の山へ遠征することが日中友好の証です。遠征を通じて人間同士のつながりが生まれれば良し。
一方で愛知県稲沢市の桜木市議(当時)は覚醒剤の受け渡しに関与して無期懲役が確定している。現在83歳の桜木元市議は多分獄中死だろう。アヘン戦争で亡国の憂き目にあった中国は麻薬には厳しい警戒心を怠らない。李下に冠を正さず、という俚諺を知っておきたい。
その後は会場を移動。名駅の地下街の飲食店で懇親会となった。
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