HP「みはらしファーム」から
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昔々、伊那と木曽との間にわずかに人だけが通う険しい峠道がありました。
ある者は転倒し、鍋を欠いたことから「鍋懸峠」と呼ばれました。
この峠を馬の通える峠に整備し、米不足の木曽へ伊那の米を運ぼうと、木曽町日義神谷の牛方、古畑権兵衛は木曽11宿にこの峠の開発を呼び掛け、自らも進んで工事を進めました。伊那側では木曽の助郷人馬役(中山道経営のための労働提供)の割り当てを恐れ、初めは開発に消極的でしたが、ついには伊那側15ヶ村の協力により元禄9年(1696)に完成したのです。
以後、伊那からは大量の米が、木曽からは漆器などが運ばれました。以来この峠はいつしか「権兵衛峠」、峠への道は「米の道」と呼ばれるようになったのです。
小屋番の山日記「秋冷の権兵衛峠 」
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