朝日遺跡を見てきたばかりなので分かりやすい動画です。以下のコメントを読んでも定説はない。歴史は断続せず、連続的だった。共生ではなく、すみわけていた。特に愛知県は弥生と縄文の住み分けがあっただろう。
濃尾平野はヤマト政権の東の果てで東征の拠点になった。
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第1章最後の回は、前回の「稲作が縄文時代から始まった」という事に続き、弥生人は渡来人という定説のウソを暴きます。
よく言われるのが横長の顔の骨格が縄文人、縦長・平たいのが弥生人、のように骨格に差があるとされてきましたが、実は骨格の差はなかった様です。そしてそこには「捏造の歴史」がありました。
いわゆる自虐的な歴史観はこの時代からもう存在していたのでしょうか。
以上
気になるコメントから
�@NHKスペシャルでの「ジャパンデビュー」を企画したディレキターは韓国人。彼は、「朝鮮半島人が兄で日本人は弟」という狂信的な小中華思想の持主だった。これは単に、彼特有のものではなく、韓国の指導階級(政界に多い元李氏朝鮮の両班階級)に共通するもので、それはさ更に上級の支配層のによる計画的な国家的戦略の一環によるものだと、思う。つまり「朝鮮が兄で日本は弟なのだから、日本は永遠に韓国に対して朝貢外交(経済援助・協力)するのが当然。(日本は韓国にとってATM存在だ。借金は踏み倒せ。)」という国家的戦略の一つだと思える。〓
�Aそもそも縄文時代、弥生時代とかいう時代区分がおかしいのではないか。〓
・・・お説の通りです。弥生時代はつまるところ神話時代に重なる。皇紀2800年ですから。大川周明は『二千六百年史』の中で、神話時代を日本人がどこから来たかを忘れてしまったからと記述する。天孫降臨とはまさに弥生人の渡来を示唆する。弥生人は縄文人の文化に飲み込まれたのではないか。但し、社会の支配構造は上書きされた。唐から逃避してきたのが弥生人であり、唐の属国からの自立が大化の改新だったのです。
縄文語(日本語)の書き言葉を模索してやっとできたのが『古事記』で、唐の人に分かりやすい漢語で書いたのが『日本書紀』。
戦後にGHQの影響下、大量のアメリカ文化がなだれ込んだが、定着したものは少ない。アメリカ文化は日本文化の基幹システムの上で動くアプリに過ぎない。GHQが作った憲法ですらいまだに擦り合わせがうまくいかないのは当然。
7 か月前
実際は弥生時代なんてなく縄文が長かったのが定説になりつつありま�Bす。定説にしないといけないですね。〓
4 か月前
�C勉強するには、一応区分けしないと覚えづらいでしょうがね。この動画は、弥生人という人種がいたわけではないという話です。〓
�D水田の遺跡が見つかって、地層から年代が縄文時代までさかのぼったのは何十年か前だったような。
大陸から渡来人がきて稲作を始めたわけじゃないのは確かなこと。〓
�E弥生人と縄文人は頭蓋骨の形が違うというのは嘘です。というのは頷けます。
縄文人が沢山住んでいるところへ少数の大陸の難民が来て混血したとしても縄文人のすべての頭蓋骨が変わるような激変は起こりようがないと思います。
最近のことを考えてみると判りますが大東亜戦争の敗戦で白人がたくさん来た結果、少数の混血の人は生まれましたが日本人のすべてが混血になり頭蓋骨の形が変わるようなことは起きませんでした。
又、もう一つ別の場合の考えですが大陸の渡来難民が縄文人を全滅させて渡来難民(弥生人?)だけが残ったというようなことは起こらなかったのではないかと思います。
ですから弥生人と縄文人は頭蓋骨の形が違うというのは嘘です。というのは頷けます。
私は現在の日本人のルーツは基本的には縄文人ではないかと思います。〓
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