鹿の角拾えばピイと鳴くなめり
2018-11-03


11/2夜から11/3にかけて奥美濃の笹ヶ峰(ロボットまで)行って来た。今夏の沢登りでの登山は諦めてヤブ尾根覚悟で行った。
 この界隈の山の名には丸が付く。北から焼小屋丸(笹ヶ峰)、夏小屋丸1294m、ヨセン谷丸(大河内山)1288m、美濃俣丸、バンドー丸、金ヶ丸(三周ヶ岳)、夜叉ヶ丸。ロボットには名前がないので通称ロボットで知られる。
 今ではバイブルとなった『秘境奥美濃の山旅』のP128の「笹ヶ峰」には「日野川の奥深く、濃緑の谷間から望まれる、柔らかいライトグリーンを敷き詰めたような山なみを、流域の人々はいつのころからか「笹ヶ峰」と呼んでいる。
 五万図<冠山>ではそれは1285mの三角点の山に冠せられた名前であるが、、土地の人々は、美濃俣丸をも含む、笹ヶ峰周辺の越美国境稜線を総称する」と定義した。
 今夏は沢から挑んだが跳ね返された。
 それで秋山に再度挑戦した。日の短い時期にこの山はなあ、と思ったがこのところ行けていないので思い切って同行した。 
 私が初めてこの山域に入ったのは約30年前の30歳代のこと。4月初旬に街道の尾の道からスキー登山で美濃俣丸に登ったのが最初だった。続いてGWの連休に70歳代の老兵と身体障害者の2人を誘った。日帰りは無理だったからロボットまでツエルトなど露営1式をボッカした。翌朝、笹ヶ峰を往復、大河内山も往復した。下から追いかけてきた登山者が美濃俣丸まで行くと言って抜いて行った。
 あの頃の大河内はまだ廃屋があり、分校も残っていた。旧住民もいて話を伺ったこともある。
 今回は広野ダムの一角でテントビバーク。オリオンの盾が鮮明に見えた。羽毛のシュラフにもぐり込んでもすぐに明ける。ぬくもりの恋しさを断ち切ってテントを出た。道路はきれいに整備されて問題ない。大河内まで無難に入山。
 登山口には新たに白谷山1050mの札があった。ぬるぬるの滑りやすい木橋を渡る。杉林の中の道を黙々登るとブナも増える。黄葉は中腹以上のブナが良かった。ブナの幹には鮮明な熊の爪痕があった。ガリガリと爪で縦に引っ掻いた痕もあった。尾根の北はまだ青々としていた。急な尾根には落葉も積もっていたから滑りやすい。
 今夏の722m付近までは無難に登ったが、段々ヤブっぽくなった。それでも登りは高みを目指せばいい。ストックもかえって邪魔になる。相棒が下山の目印に赤布を付けてくれる。1050mの等高線を越えると尾根は広くなる。踏み跡も薄くなる。1090mから一旦下って広い所にはヌタ場があり獣の足跡もある。獣臭が終始ただよう。秋山の発酵したような臭いもする。又尾根が細くなる。ロボットらしいピークが見えた。少し先で登頂の喜びの声が上がった。
 ロボットの頂上である。実に30余年ぶりに奥美濃の大パノラマを目にした。次々と山岳道定して楽しみ時間が過ぎて行く。先述したようにロボットでも笹ヶ峰に行って来たことになる。ここで充分な気がする。
 こうして眺めるとすべてとは行かないもののもう登りたい未踏の山は無くなった。あれほどあった未踏のストックが今はもうない。
 すると関東、東北、北海道、九州、中国、四国へ行かねばならないが、そんな余裕もカネもない。結局は近場の既登の山の沢登りか残雪期の尾根のスキー登山である。
 メンバーが変わり、季節が変われば違う山の味がする。
 下山は赤布のお陰であっという間だった。折に触れてふりかえるとロボットが遠ざかってゆく。遥かなる笹ヶ峰の一峰。
 722mを過ぎて鹿の角を探しながら下ったが見落とした。置いて行っておくれということだったのだろう。小さめの角だから若い鹿だろう。メスの獲得合戦に敗れたのだろうか。獣の世界も生存競争が厳しい。
 車に戻ると一安心。帰路、Yさんの出作り小屋を見たが車がなくもう山を降りたのだろう。広野ダム堰堤からまた笹ヶ峰連峰を眺めた。
 今庄ICの入り口でまた今庄蕎麦を賞味した。多分新蕎麦だろう。本物の味がした。
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