2018-10-13
当初の計画は西穂から奥穂の縦走だった。それが今年の夏の天候不順を秋も引きづり登山の実績はゼロになった。それじゃならぬと12日のみ何とか天気が良さそうというので四阿山を前日午後発日帰りでやることにした。
10/11は雨。中央道をひた走り、夜8時半過ぎ、上田市のホテルに投宿。温泉付き、食事なしで3800円はリーズナブル。
10/12の朝まで降雨があった。午後から晴れるの予報に希望を託してゆっくり朝飯を食べて出発。群馬県側の嬬恋村のパルコール嬬恋のゴンドラに行くがあいにく10/10で休業に入ったという。山を眺めると雨雲が厚いので登山は中止にして観光に切り替えた。真田一族の歴史館に寄るが、12時過ぎから青空が出てきた。観光などして居れぬと観光を中止。
思いついたのは筑北三山(聖山、四阿屋山、冠着山)の冠着山が未踏で残していた。これ幸いと千曲市に向った。千曲川に沿うて長野市に向う。途中の上田山温泉の背後に迫る冠着山への車道に入るとあとは一直線に登山口へ。
登山口はすでに標高1000mを越える。案内板には山頂へ1100mとあり、30分で登れる。黄葉には今一早いが落葉広葉樹の森の登山道をありがたく登らせてもらった。
山頂には意外にも冠着神社が建ち、窪地には古い石碑、草地には三角点、方位盤、句碑があった。表題の俳句は高浜虚子の作品で句碑として鎮座していた。この山は名山中の名山で、多くの詩歌に詠まれた。
ブログ「重翁の写真俳句&紀行」
虚子句碑紀行、写真俳句紀行、写真俳句日記で構成しています
のなかから
「姨捨公園入口の虚子の句碑はすぐ見つかった。
「今朝は早薪割る音や月の宿 虚子」
長楽寺までの道筋に、藤原定家、西行法師、小野小町、小林一茶他、多数の句碑、歌碑があるらしいが、殆ど無視して虚子の句碑を発見した。
「更級や姨捨山の月ぞこれ 虚子」
両句とも昭和20年9月22日に疎開していた小諸から観月句会で来た時の句である。」
とあるからどうも登山して得た俳句ではなさそうだ。
句意はまず、更級の意味を知る「更級郡。信濃国及び長野県にかつてあった郡。現在の長野市の一部と千曲市の一部。ソバの産地としても知られ、かつては「更科」とも綴ったが、「級」「科」は共に段差を意味する古語。」とあって地名である。
結句の「これ」は、「これやこの」のこれ。「「や」は詠嘆の間投助詞で、「これがまあ、あの話に聞き及んでいる」という意味」で、「ぞ」は「係助]名詞、活用語の連用形・連体形、副助詞などに付く。
1 「ぞ」の付いた語・句を特に強く示す意を表す。」ので、
初句はその土地へのあいさつの意味で、やあ!更級の皆さんこんばんは。中句結句にかけて、美しい月を眺めて、これが昔から詩歌に謳われたあの有名な姥捨山の月なんですね。というほどの意味。
虚子らしく、更級といい姥捨山といい、古典の教養のにじむ古い地名を持ってきて、文語を駆使し、技巧的だが手堅い句を得た。
信州・戸倉上山田温泉 源泉掛け流しと貸切露天風呂で温泉三昧の宿 ホテル亀屋本店のHPからコピペする。
我が心なぐさめかねつさらしなや姨捨山にてる月を見て 古今和歌集 読人知らず
月もいでで やみに暮れたるをばすてに
なにとてこよひ たづね来つらむ 更級日記
更級や昔の月の光かはただ秋風ぞ姨捨の山 藤原定家
あやしくも慰めがたき心かな姨捨山の月を見なくに 小野小町
君が行く処ときけば月見つつ姨捨山ぞ恋しかるべき 紀貰之
隈もなき月の光をながむればまづ姨捨の山ぞ恋しき 西行
諸共に姨捨山を越るとは都にかたれ更級の月 宗良親王
空にひとつあまりて月の田毎かな 永宮寺松堂
姨捨や月をむかしの鏡なる 加舎白雄 元文三年(1738年)寛政三年(1791年)
くもるとはひとの上なりけふの月 宮本虎杖 元文5年(1740年)
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