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「芸能活動55周年を迎える青春歌謡のレジェンド・舟木一夫(73)の人気が改めて注目されている。」と書き出す。
「今月は新橋演舞場で1カ月の公演中。里見浩太朗(81)や尾上松也(32)が脇を固める『忠臣蔵』と歌謡ショーの2部構成で、チケットはほぼ完売です」(スポーツ紙記者)」と73歳の老歌手の衰えぬ人気のほどを紹介する。
「安定した人気は歌手生活の積み重ねの賜物。元芸能誌編集者が振り返る。
「歌手デビューは東京五輪の前年。学生服姿で歌った『高校三年生』が100万枚を突破するヒット。青春歌謡歌手として活躍し、絶頂時は出身地の愛知県一宮市から特別観劇列車が出るほどの人気だった。」つまり、デビュー当時が幸運だった。たしか作曲家の遠藤実が師匠だった。良い先生に恵まれて一生の財産ができた。
「舟木は50歳手前で、デビュー当時からのファンが喜んでくれればそれでいいと見定め、昔の曲を歌い続けている。ベテランでも毎年新曲を出すのに、舟木が一昨年に出した『春はまた君を彩る』は実に13年ぶりだった」
「舟木の姿勢は、その舞台が如実に物語っている。」
「歌のショーは持ち歌の青春歌謡が大半。『修学旅行』など学園三部作を歌い出すと、観客全員が一緒に大合唱。最高潮の盛り上がりになる。感極まって涙ぐむ女性客もいます。芝居も娯楽時代劇に徹し、同年代の女性が喜ぶ出し物しかやらない。花束をファンから受け取るときもきちんと腰を折り、普通なら袖に運ぶところを、舞台の中央に並べる。客が必ずリピーターになる演出です」(芸能デスク)」
遠藤実はすでにこの世に居ない。師匠亡き後は昔の歌を歌い続ける。デビュー当時のファンを大切にする。受け取った花束を舞台中央に並べる。進行を急いでスタッフに渡してしまう歌手が多い中で心憎い演出なのである。
今年3月初めて橋幸夫の生のコンサートを見に行った。どれほどの観客動員力か興味津津だったが満員になった。前の席にはファンクラブを優先的に占めてあった。これもファン無くして歌手業は維持できないからだろう。TVでは嫌と言うほど見たが生で見るのは良いものである。
舟木一夫のファンも若いころはTVにかじりついて黄色い声をあげて声援していたにちがいない。そして子育てを終えて一段落すると昔懐かしい歌を生で聴きたいとコンサートや観劇に出かける。感動してファンクラブに入会する。
昭和30年代後半から、メディアは映画からTVへと主力が移った。橋も舟木もそのころのデビューだからうまく時代に乗れたのだ。橋幸夫の歌はすぐに映画化されたといい、映画もヒットして相乗効果をもたらした。舟木も西郷も時代劇で見たがあれはたぶんTVだった。
映画人気がすたれて、今はTVの人気も落ちていく時代となった。昭和30年代以降にデビューした歌手はこんなモンスター人気は得られなかっただろう。
私が応援している島津亜矢にしても歌はうまいのにオリジナル曲で大ヒット曲というものがない。今も新曲を出し続けているがヒットが続かない。他の歌手も同然である。昔の歌を歌うと共鳴することが多い。つまり、流行歌の市場というものは昭和30年代かそれ以前の遺産なのではないか。
作詞家の質も落ちた気がする。古い歌と今の歌の作詞を比較すると古い歌には古典の教養、民謡、俗謡などがベースになってにじみ出ている。今の歌は「北」「海」「恋」「川」「ふるさと」などの語彙を並べて曲をつけただけに思える。
舟木一夫の高校三年生の歌詞中♪ニレの木陰に♪のニレは楡だが、どんな木か知らないままだった。先年、飛騨の山で本物の楡を見てああこれが高校三年生に詠まれたニレか、と思ったものだ。作詞家の丘灯至夫の観察力は大したものだと思う。一木一草を見過ごさずに言葉にしてゆく才能は天性である。
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