加藤耕子ミニ研究2
2017-03-19


産経抄から
芭蕉を学ぶ国の危機 2月24日
ソース:[URL]

 ▼日本から遥か彼方にある国の小学生は、なんと国語の授業で、松尾芭蕉の俳句を勉強している。元ウクライナ大使の馬渕睦夫さんによると、独立以来国語教育に特に力を入れてきた、ウクライナの学習指導要領にはこうある。

 ▼「自然を描写して気持ちを表す日本人の国民性を学ぶことにより、ウクライナとは違った文化をもつ日本と日本人に対する尊敬の念を養う」。芭蕉を学ぶ子供たちに、救援の手を差し伸べるすべはないものか。
以上

 以上は加藤耕子句集『空と海』のあとがきにあった話に共通する。あとがきには「ウクライナの小学校の教科書には、シェークスピア、ゲーテと並んで芭蕉が世界の三大詩人の一人に取り上げられています。東洋の、日本の文化の奥深さと同時に世界の人々の指針ともなるべき俳句・HAIKUの持つ精神力、物の見方、詩型の確かさ、短い故の言葉の力を強く思った次第です。」とある。

 中杉弘の大説法と言うブログにも
「元駐在ウクライナ大使の馬渕睦夫さんの話を聞いていくと分かることが色々あります。この人の考え方は僕の考え方とほとんど一致しています。
 まず、第一番「私は世界人です」という人は、相手にされません。国際の社交会に出て「貴方は何人ですか?」と聞かれて「私は、世界人です。国際人です」と言ったら相手にされません。「私は日本人です」と言うと相手にされるのです。
 世界人などいないのです。「日本人です」と言うから世界人として扱われるのです。日本人を飛ばして「世界人だ」などと言ったら通用しないのです。それぞれの個性を主張して、それぞれの歴史と文化を担って、国際の社交場に出て行って、初めて国際人です。国際人をつくっているものは、日本人です。このようなことになるのですが、このような教育が日本では行われていないのです。
 英語をしゃべるのが、国際人ではないのです。日本文化を知って歴史と伝統を学び、アメリカ人と日本人は違います。日本人と朝鮮人と中国人は違います。「どのように違うのか」「どのような物の考え方が違うのか」ということが、説明できないと日本人にはなれないのです。
 馬淵さんがウクライナの駐在大使をやっている時に、小学校の5年生の教科書を見せてもらったのです。日本のことがびっちり書いてあったので、馬渕さんがびっくりしたのです。
 日本ではウクライナなどあまり知られていない国ですが、日本について非常に懇切丁寧に書いてあるのです。一番印象に残ったのは、日本は物質文明と精神文明を融合させている国です。松尾芭蕉の句を、小学校5年生に徹底的に教えるのです。馬渕さんも知らなかった句を小学校5年生で習うのです。
 「自分が知らないではずかしい思いをしました」と言っていました。16ページくらい使って日本のことを紹介してあるのです。」

馬渕睦夫氏のユーチューブ「朝鮮戦争とグローバリズム」
[URL]
・・・ウクライナの小学生が松尾芭蕉の俳句を9ページを割いて学ぶ。自然はインスピレーションの源泉。

 世界はわれわれが知っている以上に日本文化を学んでいるようだ。とりわけ俳句を学んでいるのは不思議な気がする。加藤耕子はその潮流を見て行動しているのだ。どんな結実を見るのか。今後も加藤耕子の発信から目を離せない。
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