松平郷から天下峯を歩く
2015-12-12


過去の記録  王滝溪谷から天下峯を歩く
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 以前は王滝溪谷から歩いた。今一歩きでがないので、松平郷から試みた。
 9時30分過ぎ、名古屋を出発。東の空は雲が厚い。暖かいので空気が湿っているのだろう。R153は流れもよく、豊田市をスムーズに通過できた。R301になり、矢作川を渡る橋で、流れが渋滞すると、ふっと目の前を見ると、目の前に焙烙山と六所山が並んで、屏風のように聳える。
 10年前の合併で豊田市最高峰の名誉は剥奪されたが、豊田市民には朝な夕なに眺められ、親しまれている里山である。天下峯は前景に埋没して同定はできない。
 R301は丘陵地を越えて、東海環状の豊田松平ICを左に見て下ると巴川にかかる松平橋を渡る。右折し、案内にしたがって左折する。豊田松平ICから7kmで松平郷への案内板のある三叉路に着く。左折するとPとトイレがあるが、松平東照宮や高月院はまだ奥まで走る。11時前に着いた。
      松平郷・沢連(そうれ)の山里を歩く
 今日は休日なので農産物を売る露店が開店していたので白菜と里芋を買った。車はまばらにある。すでにシーズンは過ぎて閑散としている。しかし、名残りの紅葉も素晴らしい色彩を見せる。11時過ぎ、身支度を整えて、天下峯に向かう。六所山への登山口を右に見送り、高月院への道も見送る。車道歩きである。坂道を歩くと左に在原家のミニガイドがあるが、下山後に見送る。
 登りきった三叉路を右折。セメントのよう壁の前後に枝道があり、下は高月院への近道と石碑があった。
 ぐんぐん急な坂道を登ると二股になるが道標を見て直進。暖冬のせいで道路わきのツツジが狂い咲きしている。右折の道も上部で合流する。一軒の住居と建物があるが行き止まりだ。ここからヘアピンのように左折する。車道の幅はあるが通過は困難だろう。
      六所山を遥拝する東宮口へ(ひがしみやぐち)へ
 荒れた舗装から地道になり、きり開きを越えるとまた舗装路になる。桧、杉の植林山の山腹を巻く感じだ。残された渋柿がたわわに実っている。照葉樹林の青、雑木林の彩り、針葉樹の植林と変化する。車道は一旦下って軽く乗り越す。ほとんど平坦な道になった。そのまま歩くと六所神社のある東宮口に着いた。東宮(とうぐう)とは皇太子の意味があるが、橋の名前のところに地蔵橋とあり、宮口川とあったので宮口の東の意味か。
 ここは六所山の麓であり里宮である。農村舞台もある。あるHPにはかつては宮口村といい、社領だったという。村の氏子二人が毎月二度、上宮(うえみや)清掃の当番に当たる、と書いてある。宮口音頭まであるそうだ。数分下ると、坂上町字金姓(かねしょう)の地にある下宮一の鳥居が建っていた。鳥居からは六所山が背景に見える。あの山は明神山(六所大明神)とも呼ばれたが、山全体が御神体であり、古代からの遥拝地なのであった。なぜかここだけが残されたのも神聖な場所だからだろう。
     神聖な六所山遥拝の地を育む水田
 それにしても仁王への分岐にある宮口川の橋から眺める六所山は素晴らしい山容である。三河三霊山(三河本宮山、猿投山)の一つというだけはある。緩やかな丘陵地形に挟まれた谷の風景は、鎌倉市辺りならば谷戸(やと)という地形である。多すぎない水量の宮口川は美しい水田を潤す。地形図を眺めると六所山の西麓だが、南側の山が低く、朝早くから陽光に恵まれるのだろう。そして水田を北側に集約し、宮口川を南の山陰に寄せて流す。北側に民家も寄せているが、背後からも小さな流れがある。制御しやすい湧水は農業に助かる。

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