2013-10-25
先だって、俳句仲間のT氏から突然の電話があった。何でも、長野県の八ヶ岳山麓のコンサートを鑑賞中、脳内出血で倒れた。地元の病院で、しばらく入院加療していたそうだ。その後、名古屋の名古屋市立大病院に転院し、今は退院。
倒れた当時、周囲の人が異変に気づいて、すぐ適切な対応のお陰で、頭蓋骨に穴を開けて治療することもなく、半身不随とか、後遺症もなく、普通に生活できるように治ったらしい。視野狭窄があるとは言われたらしい。
そんな会話の中で、入院中、俳句が慰めになったとしきりに言われた。俳句をやっていなかったら、ぼーっと病窓から眺めているだけだった。無聊を慰めるために眼に見えるもの、感じるもの皆俳句にしたのだろう。
あるサイトからコピペすると
「療養俳句というジャンルがあるくらいで、俳句と病気は因縁浅からぬものがある。病床にくぎ付けで行動の自由を奪われ、生死に思い致すことの多い日々は、自ずから、より純粋に俳句に向き合う意識を育てるだろうことは推察できる。だからといって、病気になれば誰だっていい俳句ができるなんてことは、もちろんあり得ない。
しかし、川端茅舎の場合は、その作品に見てとれる自然凝視の眼力の強さ、自然随順の宗教的性格からみて、明らかに病気がちだった生涯が、その作品世界に大きく影を落としていたことは疑えない。名高い露を詠った一連の作品がその最もよい例になるだろう。」
別人のサイトからも、同様の思いが伝わる。
「俳句を詠むという、もう一つの楽しみを持つ旅が一段と深みのあるものとなるように、病床でも俳句を詠めることが、入院や療養の時間を豊かにするように思います。江國氏がもし俳句を詠む術を知らなかったならば、もっと早くに、もっと不本意に、何も表現出来ぬまま、帰らぬ人となっていたのではないかと思います。」
行く年を母すこやかに吾病めり 子規
水仙の花鼻かぜの枕元 漱石
水枕がばりと寒い海がある 西東三鬼
手術待つ白布づくめも秋深し 岡本 眸
常臥しのわれのたとへか臥龍梅 森 澄雄
引用以上
T氏に言葉を返した。
病気はむしろ俳人を目覚めさせるきっかけになると申し上げた。健康で余裕のあるうちはピントのずれた句作でも明日知れぬ病気になると生に真剣になり、自分と向き合うことで句風が変わるとも言われる。それは以前からの地道な鍛錬がものを言う。
T氏がまさに旅に病んだわけだが、
旅に病んで夢を枯野を駆け巡る 芭蕉
石田波郷はもっと壮絶だ。戦後は闘病の末に死んでいった。
今生は病む生なりき鳥兜 破郷
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