トムラウシ遭難事故最終報告 追記
2010-02-26


すでに指摘したように、内部指向型の人は急速な社会変動にうまく対処することができるのみならず、その変動を、個人的な目的の達成のために利用することを心得ている。しかし、その変動が急激すぎる場合には、内部指向型の人の方が他人指向型の人よりも、弾力性に乏しいといえる。というのは、他人指向型の人がもつ同調性は、成人の権威を受け入れることよりは、むしろ同時代の人たちが抱く期待に敏感に反応するからである。他人指向型の人間は、ジャイロスコープ(羅針盤)で舵をとりながら生涯の目的に向かって進む代わりにレーダーによって捉えられた、手近にある目標(それは常に動揺し、変化するものであるが)に従うのが常である。このレーダーも同じく幼年期に据え付けられたものであるが、両親や他のおとなたちは、いつでも周囲の人々に調子を合わせ、彼に対する親やおとなたちの反応と親とおとなたちに対する自分の反応をたえずにらみ合わせていくようにと教え込むのである。

 こういう他人指向型が増え、それに伴って他人に対する敏感さが増大したのは、現代産業社会の広範囲かつ加速度的な社会構造の変化の結果でもあり、また原因でもあった。その変化とは、「新」中産階級の増大、生産よりも消費に対する関心の増大、子供に対する親の自信と監護力の弱体化、など列挙すれば際限がない。この場合にも、仕事、消費、性、政治、そして自己など、生活の主要な側面すべてに対する新しいさまざまの態度がみられ、性格構造と社会構造の変化を反映し確認している。かくして対人関係の世界は、人間劇の舞台装置としての物質的自然界と超自然界とを、我々の視界から見えなくしている。

 他人指向は、ある社会が衣食住など生存に不可欠な問題はもとより、大規模な産業組織と生産の問題すらがほとんど解決され、少数の有閑階級と広範なレジャー大衆とが、それ以外のことがらに関心を抱く余裕を与えられるようになってはじめてその姿をみせる。このような社会では、いつまでも勤倹(仕事にはげみ、また、倹約につとめること。勤勉で倹約なこと。)の精神と欠乏恐怖観念とにとらわれ、禁欲主義的なピューリタニズムを頑固に守るような消費者は、その存在が否定されるのである。アメリカ以外でこのような事情にあるのは、スウェーデン、オーストラリア、ニュージーランド、、その他の少数の国々に限られ、それも部分的に実現されているにすぎない。しかし、アメリカにおいてさえ、他人指向はまだいわゆる「アメリカン・ウェイ」の同意語にはなっておらず、内部指向が依然として重要な位置を占めているといえよう。」
 以上の分析を現代登山事情に適用すると
伝統指向は伝統的な大学山岳部がすぐに浮かぶ。彼らがOBとなって日本山岳会の指導層に君臨する。閉鎖的集団の中で登山技術やマナーを叩き込まれ先輩=集団的権威への恭順が重視される。
内部志向はもっぱら初登頂、初登攀などを目的、目標とする人々である。自分が所属する団体に目標がなくても外部にあればそれを権威として努力目標に据える。女性でエベレスト世界初登頂の田部井淳子さんはその典型であろう。
他人指向はDで指摘されたような日本百名山などを権威として靡いていく人たちである。若い頃は身を立てることに忙しく登山など意識外であったが子育て一段落、仕事で見通しがついた、などで初めて登山に目が向く。しかし経験や技術の蓄積がないから勢いプロガイドに依存していくことになる。目標もみんなが言っている日本百名山の踏破へと倣う。
 半世紀前のアメリカの社会学者の分析ながら現代でも当てはまるのは慧眼というほか無い。
 内部指向や伝統指向(節田座長は伝統指向)の人がこれまでに何度も警告を発してきたがカイゼンされた風潮は無い。法的に整備しても事故は繰り返し起きる気がする。他人指向の人らはこれまでの事故を教訓にして安全な山旅への知恵を身に付けるしかない。内部指向の人らも苦心惨憺して高めている。やっぱり登山は自己責任を意識して地域に精通したいいガイドを選ぶことだ。

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