2009-03-22
ある検索をしていたら日照岳の遭難が目を引いた。2009年3月1日に単独で山スキーに行って帰らず、岐阜県警のヘリ捜索、友人らの救助活動にも拘らず、発見できなかった。県警は捜索を中断、今後は家族や友人らの仲間での捜索活動が頼りであろう。
日照岳は2000年3月15日にも雪庇踏み抜きでの転落死亡事故があった。山スキーヤーにはパウダースキーの山として知られている。一昨年の2月、白弓スキー場であった人も日照岳で滑ってきた、と言っていた。人気があるようだ。
ハッと思って篠崎純一さん(現在はエベレスト遠征中)のHPをチエックすると彼も1月に単独で登山し、途中から沢を滑降している。最近はインターネットで情報を収集して、行く人が多いようだが雪山での対応力や判断力はあるのかどうか。若い、スキーが上手い、というだけで危険の多い日照岳はどうかと思う。
遭難した人はパウダーが好きなようだが昨年も五竜遠見尾根で若いパウダースキーヤーが雪崩で亡くなっている。篠崎さんと同じ沢を滑降している可能性は高いが捜索は済んでいるだろうか。沢のどこかで雪崩にやられているように思う。雪の中ですでに20日以上経過した今は生存の望みは少ないが。
同じ飛騨の猪伏山でも雪は少ないが固い根雪の上に2月になってから降った春の雪がふわっと乗っており、雪崩の条件は揃っている。それにエッジを効かせると雪面が寸断され、転落したこともあった。
冬の大山でも雪解け水を飲みながら長いことかかって奇跡的に生還した例がある。無事を祈りたい。
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日照岳遭難報告書(中高年登山の問題点)
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2000年3月15日 12:50頃
●場所
岐阜県 大野郡 白川村 日照岳 1751.3mと1645mとの鞍部。(写真のヘリの下)
●メンバー
2名(ともに50代)
●遭難発生時の状況
雪庇上をAが先行し、Bは写真撮影後そのあとを追った。ところが、後発のBのみ雪庇の崩落に巻き込まれてしまった。
1534mより、3月18日 1645mより日照岳、4月16日
カンジキ発見、5月4日
発掘、5月4日 収容、5月4日
●遭難発生時の行動と事故原因の推定
目撃者はいない。最後に撮影された写真と当時の証言をもとに、事故原因を推定した。Bが写真撮影を思いつき立ち止まった脇を、Aがそのまま通過し、雪庇上を進行した。残されたBはカメラを取り出し撮影を行った。ここまでは証言通り、以下は推測。
このとき正面の山と先行するAの後姿との位置関係(カメラアングル)を考慮して、若干風下側へ移動して撮影を行ったものと思われる。その後Bはカメラをウエストポーチに収納し、そのままAの後を追った。しかし、そのときのBのルートはAよりも(わずかに)風下側へそれたまま進行した。
Aが通過した時にはかろうじてバランスを保っていた雪庇も、Bの通過により一気に崩壊した。すなわち、A・B二人の歩いたルートが微妙にずれていたものとすれば、発生し得る現象である。(※ 積雪には粘性やクリープ現象があり、時間経過に伴って後続者のみ事故に遭うケースは、それほど珍しくはないようだ)
●遭難の背景と間接要因
文部科学省立山登山研修所の大日岳遭難の10日後であり、この年の異常な積雪(2月の大雪)を指摘する人もいる。登山開始時刻が遅く、最も気温が上昇する時刻(13:00頃)に、雪庇を通過した。
また転勤や葬儀などの慌しい中での登山であった上に、藪山であるため登山期間がごく限られていることもあって、さまざまな「あせり」が幾重にも重なった状況が指摘できる。
●防止策
二名には本格的な冬山の経験がなく、現場は両側とも谷底まで遮るもののない痩せ尾根。風上側を巻けば避けられたと思われるが、そこは樹木が一切無い草付きの急斜面で底雪崩が頻発する地形であり、それも勧められない。結果論であるが、雪庇を認めた段階で中止すべきではなかったのか・・・。
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