2007-09-22
葛飾に越して間もなし梅の花
*この滑らかな調べは秀逸である。葛飾という地名もいい。水原秋桜子(1892年-1979)の38歳の時の初の句集『葛飾』は1930年に刊行。荷風は1879年生まれなので49歳でした。中でも次の
葛飾や桃の籬(まがき)も水田べり 水原秋桜子
は名句として人口に膾炙している。荷風が意識しなかったはずはない。やで切りながら一気に水田べり、と畳み掛ける滑らかさ。荷風の句はこの名句(発句、立て句)への挨拶句にもとれる。
紅梅に交りて竹と柳かな
人よりもまづ鶯になじみけり
鶯や借家の庭のほうれん草
以上『断腸亭日乗(下)』の昭和21年3月24日に人より句を請われて、とある。
荷風の俳句は一読して足元の日常生活をぱっと切り取って軽やかであり、「かなけり」の切れ字を用い、やで切るのも上句、結句でと自在である。古風な格調がある。
神田川祭りの中を流れけり 久保田万太郎
と一脈通じた句風である。さすがに作家は言葉の用い方が的確であり読む者を飽きさせない。余技でありながら高いレベルの俳句は面白い。
それに加えて昭和19年の9月
秋高くもんぺの尻の大なり
スカートのいよよ短し秋のかぜ
スカートの内またねらふ藪蚊かな
などは俳諧味があって川柳に近い。送った相手も気兼ねのない極親しい友人であろうと思う。後年の西東三鬼(1900-1962)の「おそるべき君らの乳房夏来る」(昭和23年『夜の桃』から)に通じるものがある。初夏で薄着になるノーブラ?の若い女性を詠んだ。もんぺという服装ももう今はよほどの田舎でないと見かけないかもしれない。
昭和20年9月20日、従兄弟の家の厄介になりて云々。熱海で名月を観ての嘱目。
湯の町や灯もにぎやかに今日の月
すき腹にしみ込む露やけふの月
月見るも老いのつとめとなる身かな
これは残柳という俳号でXX氏への返書に書き添えた俳句であった。無聊を慰める荷風が居る。観月をして句を詠むのは老いの癒しとしては最高のもの。
俳句のみ拾い読みする夜長かな 拙作
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