熊の話 奥三河に熊出没
2006-11-30


10/29付の日経新聞夕刊の16面の中部プラザで意外な記事が目に留まった。
 大見出しはクマ出没警戒強める、小見出しは愛知・岐阜で目撃相次ぐ、とある。岐阜なら珍しくもないが愛知は珍しい。故にニュース価値があるのであろう。
 豊田市永太郎というから何処だろうと検索したら何と旧小原村であった。岐阜県から越境してきたのであろう。豊根町上黒川でも目撃されている。ここは長野県境に近いから越境してきたのであろう。愛知県は多勢のクマの餌となるブナの実が豊富になる自然林は皆無に等しい。
 かつて大岩岳小岩岳に行く際林道の分岐の近くで熊の捕獲用のオリを見かけたことがある。愛知は棲息しないものの餌を求めての行動範囲には入っているだろう。長野県だけでなく南アルプス深南部を擁する静岡県にも近い。あそこなら多勢棲息していることは間違いない。40K四方を動き回るというから案外東栄町経由で愛知県入りしているかも知れない。
 愛知県の山の登山、ハイキングでも鈴を鳴らしたり、笛で人が居ることをクマに知らせる必要があると結んでいる。
 ともあれ余りにも人間が自然を開発してしまったため野生動物は棲息範囲を狭められている。手付かずの自然を意識的に残さなければならないのは時代の要請である。
 『振草村誌』には狼のことが書いてある。新城市出身の早川孝太郎は猪、鹿、狸といった奥三河の動物の話を書いている。段戸山には鹿の大群がいたらしい。当然のことながら昔は愛知県にも野生の動物が沢山生息していた。私が見た動物はカモシカ、狸、鹿、くらいである。友人はクマらしいものを見たというがアナグマの可能性もある。不思議にも熊の話はない。しかし豊根、富山村辺りは熊谷家の名前が知られる。
 愛知県に近い静岡県側には「熊」という地名はある。現在は浜松市になった。通称はくんまと呼ぶが正式にはそのままくまだという。そこで生まれた子供は熊の子であり、熊小学校に通うから面白い。熊郵便局、熊駐在所もある。
 由来は諸説あって不明。熊本県の熊は元は隈の当て字からという。大隈半島は日本の隅っこだという場所を意味するのであろうか。遠州の隅っこの村だから隈(熊)村としたものか。球磨郡もある。山間の曲がった谷間という意味もある。今となってはもう分からない。
[本]
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