奥三河・段戸裏谷から出来山界隈を歩く
2015-06-20


ここもこのまま五六橋まで下らず、自然研究路に右折した。この道は地形図にはない。一旦稜線に上がって、下り、谷に下りたから多分、1015mの左を巻いて、椹尾分水林道に下りるルートだろう。分水峠の近くになる。これで段戸湖まで歩くだけだ。今日の林道歩きは終わった。下山後は西川へ行ってみた。
 出来山は絵地図でもそのままの漢字の山名であった。信玄の金鉱の歴史がある。栃洞はなく、鰻沢もない。西川という木地師の村はあった。明治時代中期に井山から木地師が入り、御料林を伐採し、木地製品をつくった。その後には桧の植林をしていったという。草刈をしていた西川の大蔵さんに聞くと、牛渡の地名は昔はツガの材木を板に挽いて牛で運んだという。その名残のようだ。爺さんが作った欅の大きなお盆も見せてもらった。
 出来山の金鉱跡も尋ねたが、御料林の伐採植林の時代に危険なので入り口は壊したという。道理で一つも見つからないわけだ。但し、それらしい跡はあった。坑道には膝くらいまで水が溜まっているそうだ。それだから沢でもないのに同じズリが敷き詰められ、かすかな流があるわけだ。
 西川から裏谷に登り返し、段戸川の県道33を下った。民地は多分、国有地に対する民有地のことだろうか。民地の近くには開拓橋の名前の橋があった。やはり。この周辺は御料林を払い下げを受けて開拓をしたものの標高が高くて生産性が悪かったと見える。今ならレタスのような高原野菜でも栽培できると思うが・・・。
 段戸御林から段戸御料林、そして国有林へ。山主の変遷とともに歩んできた山びとたち。筒井敏雄『山の波紋』(集英社)は段戸山を巡る無名の人々の群像劇である。ここだけは何か特別な雰囲気がただよう。また秋の紅葉期に来て見たい。冬の霧氷期もいいかも知れない。

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