成人の日の式典に思う
2010-01-11


8時30分過ぎ会場の小学校体育館に出向く。すでにストーブが焚かれて寒くはない。委員の人らはほぼ集まっているが昨日の準備でもう余りすることもなく新成人が会場に来る10時まで待つ。
 10時近くになって続々集まってきた。女の子はほとんど振袖姿が多い。男は黒っぽいスーツに身を固めていたが一人だけは羽織袴がいた。直前になると喧騒で若さがあふれる感じになる。久しぶりに出会うと感激して奇声を発する女の子もいて楽しそうだ。携帯のカメラで撮りあったりして可愛いいものである。
 参加人数は118名とか。彼らが6年生の頃は4クラスあって40人学級なら160名、30人学級なら120名になり、学区外からの転居と転出とを差し引きすると大体は参加できたかな。
 筆者の頃はすし詰めに近い50人学級で5クラスはあったから正に団塊そのものであった。今はほぼ半分以下に減った。この子らが働いて付加価値を生まないと年金のやりくりが難しくなる。しかし働こうにも企業がカネを惜しんでデフレ(スパイラル的な)不況に陥っている。
 こんな時機こそ企業家精神を発揮して貰いたい。ブラザーミシンの創業者は仕事がない時代に仕事を創る目的で創業したとの本を読んだことがある。金儲け、利ざやを抜くだけ、人減らしに知恵を絞る、会社をスリムにすることに英知が使われている。これではやりきれない。
 そろそろ悲観一色からブレークして欲しいものである。
 式は君が代斉唱、来賓のあいさつが続き、新成人の聖火への点火、交通安全と選挙権の行使の宣言がそれぞれ行われて終った。後はひな壇を作って記念写真の撮影、そして世話をした我ら委員もひな壇に納まって記念撮影した。椅子などを一気に片付ける。
 昼食後は恒例の会議をしたが1月は連絡のみで終る。4月からの区政協力委員の任期満了に伴う後任の話が出た。これは一部から大変困難との意見が出た。「後任がなくても自分はもうやらない」、というのである。ごもっとも。
 確かに昭和40年代初期に始まったこの制度は疲労している。代わって地域委員会になって行くのだろう。この式典にも市関係者はいない。名古屋市の行政下請け機関のようなことでは長続きするまい。女性委員からも「もっと楽しい集いにしないとね」、とコメントが出た。ごもっとも。何かが欠けていると思う。愚考すればそれは文化的なものがないのだ。娯楽性にも欠ける。人生はエンターテイメント、と見る。
 
  振袖に若さを包む成人式
  日の丸に一礼したり成人式
  続々と新成人の集まれり
  成人の日や君が代を歌うなり
[天白歳時記]
[短歌&俳句]

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